映画『アーティスト』 感想前のあらすじ

映画『アーティスト』感想前のあらすじですー。

 

 

サイレント映画のトップ・スターであるジョージは、映画封切りの日に押しかけたファンの落とし物を拾ってあげたことで頬に感謝のキスをされ、翌日の新聞の一面は映画ではなくその写真で占められる。そのファンというのが、女優志望である美女のペピー。

ペピーはエキストラとして役を得ることで、今度は撮影所内でジョージと再会する。

ジョージに憧れていたペピーは、彼の控室に忍び込み、ジャケットに腕を通してうっとりしているところを本人に目撃される。ジージはジョージで、そんなペピーにほくろを書いてやり、その後のダンスシーンを何テイクも繰り返す。しかしジョージには倦怠期気味の妻がおり、特にふたりの仲は進展しない。

そんなある日、ジョージの映画を撮影しているキノグラフ社へトーキーの試写がやってくる。ジョージはトーキーに魅力を感じず一笑に付すが、時代は加速度的にトーキーへ傾いていく。キノグラフ社は今後サイレントは撮影しないことを明言し、ジョージには仕事が回ってこなくなる。

反対に、ペピーはトーキーの時流に乗り、またたくまにトップ・スターへ。レストランでインタビューを受けるまでになったペピーがサイレント映画を酷評し、「さっさと道を譲ればいいのに」と切り捨てるさまを見ていたジョージは、食事の途中ではあるが席を立ち、彼女に「譲ったよ」と声を掛けて立ち去る。

 

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その後ジョージは自費でサイレント映画を撮影するものの、撮影準備の間にも世間はトーキーに流れ、公開したものの結局ふるわず、それがもとで破産してしまう。

もともと折り合いの悪かった妻とも別れ、家を追い出され、過去の栄光にまつわるすべてのアイテムをオークションに出したり、質に入れたりする。しかしそれでも運転手を養いきれなくなり、無給でもよいと言う気心知れた運転手のクリフトンとも別れることとなり、しばらく小さな家で自堕落な生活を続ける。

そして、はじめてトーキーを見に行ったその日に、自宅にある過去の出演作に火をつける。

 

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その事実を知ったペピーは、ジョージがそれでも手放さなかった1本のフィルムが自分とのダンスシーンであったことを知り、かつて彼が暮らしていたような豪邸へ引き取ることを決める。そこにはジョージが失ったすべてのものがあり、かつての運転手であるクリフトンまでも勤めていた。

療養を続けるジョージに「今日は大事な撮影があるから」と言い残してペピーは出ていき、その間に屋敷を探索していたジョージは、かつて自分が行ったオークションのアイテムがすべてペピーによって買い占められていたことを知る。

彼はそのまま、かつて自堕落に暮らしていた小さい方の自宅へ行き、自殺を図るものの、ペピーと愛犬によって止められる。そしてペピーは社長を脅して、相手役がジョージでなければ次回作には出演しないと詰め寄り、ラストでは二人でタップダンス。

ジョージが「何テイクでも踊るよ!」みたいなことを言っておしまい。

 

 

 

 

 

映画版『ワイルドセブン』を見に行ってたんですけどもさあ……⑤

ここまで更新したら「ワイルドセブンのはなし」ってアイコンつくったほうがいい……? と思いつつ、ライダースジャケット? バイク? 拳銃? ヘルメット? どれひとつとして描けませんわぁアッハッハ!! ってなっておりますしずこ ( @cigarillolover ) です!!

ヘボピーの格好とかなら……でもイヤべつにヘボピー好きなわけでもないしな……。

 

 

画像は本間ユキちゃん初登場&世界(※原作では”セカイ”ではなく”世界”表記)がゴニョゴニョしてしまう「コンクリート・ゲリラ編」収録巻です。

映画に関するあれこれは今回でラスト更新になりますので、好きな表紙のワイルドセブンの文庫コミックスを織り交ぜつつお送りいたしますね。

で、かっこいいところ、よかったところはなにより、バイクアクションですよね!! わたし乗らないから技術的なことはまったくわからないのですけれど、それでもセブンレーラーからバイクが次々出てくるシーンは素直にかっこよかったですよ!!

ちなみにバイクアクションのもうひとつのウリの、階段駆け上がりですけど、こっちもかっこいいんですが階段の手前に段差をなくすための踏み台がばっちり映っていたので、それは修正で消せなかったのかな? っては思います。

でも、ノーヘルで階段をがががが!! って上がっていくのは、役者さんの必死な表情がそのシーンの緊迫感とあいまって、すごくよかったです。

 

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こちらは「ワイルドセブンのニューフェイス!! ユキちゃんデース!!」が収録された「黄金の新幹線編」収録巻です。

映像的なところのかっこよさで言えばもひとつ、ワイルドセブンがそろって敵地に乗り込むシーンもよかったですね~。場面的には、バイクでの階段駆け上がり手前です。

セブンレーラーの荷台の中から外へ銃を乱射して、扉からではなく側面から飛び出すのですが、ここの「銃弾で側面に穴が空いたことによって細い光が入り、照らしだされる7人のシルエット」は文句なしにかっこよかった。

最終決戦への緊迫感や、挑む彼らの覚悟まで表現されたような、非常に洗練されたシーンでした。

あとは、龍が如くでの名セリフNO.1が「伊達さんの弟子ですから」だといまだに思っている系としては、草波さん脱出の際の成沢さんとのやりとりがそこそこ好きですね。

 

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最終決戦のビル突入で特によかったのは、無意味な全滅エンドにならないでいてくれたことです。途中途中で、「ここは俺に任せてお前は行け!!」みたいな場面もあるわけですよ。でもそこでほんとにひとりひとり死んでいったとしたら、それはすっごく白けたと思いますし、ワイルドセブンという作品の厳しさってそこじゃないと思うんですよね……。

それに、もしここで次々仲間が死んでいったとしたら、セカイのエピソードもかなり軽くなってしまうし、その犠牲に対してあの対決がラストでは納得がいかなかったでしょう……。

 

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で、いまさらながらとってもネタバレいたします。セカイの話です。

この作品中では、ワイルドセブンというものは世間に対して公にされておらず、一種の都市伝説のような扱いになっています。

しかしながら、とある新聞社に務める若い男性は、ワイルドセブンの存在を信じており、後輩の女の子に若干バカにされながらも熱心な調査を続けています。

そしてこの、「ワイルドセブンの存在を信じていない一般市民であるところの、新聞社の若い女子社員」は、そのワイルドセブンの一員であるところのセカイの娘さんなわけです。当然、彼女はその事実を知りません。

しかしセカイは、名乗ることさえできなくとも、彼女の存在を知っています。そして最後の突入時、セカイは彼女を助けるために単身来た道を戻り、蜂の巣になって死んでしまうのです。

娘を、安全なところに送り届け、ためらいつつもその頭をなでた、自分のてのひらを見つめながら――。

もうこれセカイが主役でしょ……?!

 

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この、娘の頭を撫でるのをためらって、それでも撫でて、そして、その手を本当にうれしそうに眺めて死んでいくところとかほんと泣けるんですよ!!

この親子になにがあったのかはまったく語られていないのだけれど、それでも充分に感情面に伝わってくる素晴らしさ……。

これはある種の偏見的な見方かもしれないですが、「ああ舞台をやる方の演技だなあ」と思いながら拝見していましたよ。

映画やドラマで、カメラの前でもたくさん活躍されているのは存じておりますが!! なんでしょ、そんなに情熱たっぷりにあますところなく演技しなくても、カメラでクローズアップされてるから大丈夫だよぉ、って思うんだけれど、でも、そうじゃないお芝居っていうのがね。そうじゃないお芝居っていうのが、ほんとにいいんですよね……。

あの、言葉でもお芝居できる方なのに、無言で、すべてを伝えてくるのがいいんですよ……ほんと……。

セカイの中の出来事で完全に、あの場所であの人間ひとりだけが納得して死んでいくのに、その気持ちがこっち側に直球で伝わってくるの。でも、こっちに伝えようってよくばってる演技じゃないの。完全に、あのお話の中でのセカイの中で完結しているシーンなの。でも伝わってくるの。

ほんとうにすばらしかったです。

 

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と、いうわけで長々続けてまいりましたワイルドセブンの感想ですが、ここいらで一旦筆が置けそうです!! ウワー長かった……!! ほんとなんでこんなに語ることがあるのかよくわかんない!!

で、この5回にわたって商品リンクなどをはらせていただいたのですが、この映画版のコミカライズとノベライズがそれぞれ発売されているのを知りまして。昨日の更新分のがそれなんですけれど。

映画版はほんとザックリって感じで、正直説明不足やつくりこみ不足に感じるところもそこそこありましたので、これ本来はどこまで考えてあるんだろう、アレもコレも映像では端折られてしまっただけでつくりこんではあるのかしらん、っていうのがすごい気になるんですよね。どうしようかなあ……。

あと最後に述べることがあるとしたら、やっぱりワイルドセブンって望月三起也さんの絵ヂカラによる圧倒的な色気があってこそだなあと思うので、映画版からご興味を持たれた方はぜひ原作コミックスを。

というわけで、一連のワイルドセブンのお話を一旦終了したいと思います!!

ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

映画版『ワイルドセブン』を見に行ってたんですけどもさあ……④ 褒めの前にセカイを語る

前回のラストで「次は褒めます!!」的なことを書いたんですけど、個人的にこの映画を褒めるってほぼほぼセカイについて語るってことなしずこ ( @cigarillolover ) です!!

んで、書いてるうちにどんどん脱線してきたので思い切って独立させちゃいましたが、このまた次の更新でもおそらくセカイの話をします。

ヤバイ。久しぶりに「感想っていうより妄想だよね」タグが火を噴くぜ……!?

 

 


残念ながら7人全員はたたせきれなかったキャラクター、それでもB.B.Q.とヘボピーのおばかさんコンビはかわいかったですね!! という導入なのに結局セカイの話になりますゴメンね!!

いや、B.B.Q.とヘボピーはエスカレーター逆送とかもよかったけど、突入時に単独行動を取ろうとするセカイに向かって「セカイ、死んじゃうよ!!」とか言ってしまう、その単純さがすごくいいんですよ。かわいい。ひょっとしたら、この映画の中で一番好きなセリフかもしれません。

だいたいですね、死地に向かう人間に「死んじゃうよ!!」って止めますか、普通!! 涙ながらに止める女性とかなら「行けば死んでしまうわ……!!」って言うかもしれませんけど、あのタイミングで同等の仲間から、「死んじゃうよ!!」ってクッソ単純なせりふ……!! たまらなく……いい……!!

あまりにも直球で、その語彙力のなさがとってもいいし、そのおかげでグンっとキャラがたったのもいいし、それに「もし、彼らがもっと言葉を知っていたとしても、きっとあの場面ではそうとしか言えなかったろう」っていう感じもまた、イイんですよね!!

 

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これ、印象が強すぎてまた「感想って言うより妄想だよねモード」に入ってる感は否めませんけど。

「詳しい事情はわからないけれど、たった今切り抜けてきた死地に仲間が戻ろうとしている。きっとなにを言っても彼は戻っていってしまうだろう。止められない。」というひとつの事実。

それに対して「だけどこのまま行かせてしまえば彼は確実に命を落とすだろう。」というもうひとつの事実。

その両方が一瞬でわかるからこそ「黙っては行かせられない。」のであって、あれは空気読んでいないとか思慮が浅いとか、そういう話ではないと思っているんですよ。

それと同時に、「そこに止めるための説得力なんかはまったくないのだけれど、それでもその言葉が飛び出てしまった」という時点で、彼らが「ただ単に寄せ集められた、ワイルドセブンという名の便宜上ひとかたまり」以上のものである感じがぎゅっとつまってて、すごくイイわけですよ!!

あそこで「セカイ……」までしか言えなかったとしてもそれはそれで伝わるものがあるんですけれども、「死んじゃうよ」ってダイレクトな言葉を使ってしまうところが、いろいろなことを感じさせてくれるので、とっても好きなシーンです。ほんの一瞬ですけどね。

 

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ただ、ここだけに限らずちょっと惜しかったなあと思うのが、ワイルドセブン内の若い子を、このほんのワンセンテンスでピュッっと立たせることができたのだから、対比としてオヤブンもたてられたんじゃないの……? ってところなんですよね……。

あのメンツの中で、宇梶剛士さんのビジュアルって結構目立つんですよ。ほかの方がつるっと若い感じだから、年長者感がありありと出てるんですね。でも、存在感があるのに、シナリオ上ただそこにいるだけなんですよ……。ワイルドセブンって7人いるからとりあえず、頭数として足しとくか、って感じに。それはオヤブンに限らずですけど。

 

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って、このオヤブンについての言及をここでいきなりするのには理由がありましてね。

この、「セカイ、死んじゃうよ」のところに限らず、悪く言うとセカイが自己完結しちゃってるんですよね……これほんとに悪い言い方ですけど……。もともと、そんなに仲良しこよしをするメンツではありませんけど、それにしたって……。

もちろん、だからこそカッコイイ仕上がりになっているんですよ? 仲間にもなにも言わずに、ワイルドセブンとしての本懐を遂げるでもなく途中離脱になること……もっと言えばかなりの確率で死ぬであろうことをわかっていてそれでも、抜けてきたばかりの死地に向かう、すごいかっこいいですよ?

でもなんか、主役でもねえのにすんげえかっこよすぎないですか? なんかもう、シナリオ的にワイルドツーでもワイルドスリーでも成立しちゃってないですか? なんでそこに、同じくらいの、場合によってはビジュアル的にセカイよりも年長者っぽく見えるキャラクター&キャストを配置しておいて、そいつがだんまりなのかって話なわけですよ。

 

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で、ここまでさんざん言っちゃってるけどオヤブンなんかここでセリフありました……? 無言ではなかったかもしれないんですけれど、まあ少なくとも印象に残るような発言は特になかったと思うんですが、今手元にメディアがないのよね……。

もちろん、命が1か0かになってしまう瀬戸際の判断を他人に任せるっていうのはないでしょうし、セカイ自身は早い段階で決断していたとしても、その判断を後押しするなり、若い子たちもぐっと黙ってセカイを見送ってしまうような一言で場を収めるなり、それどころかストーリーの展開途中で「親子」っていう話についてセカイのフォローするなりってオヤブンくらいの年長者キャラならかなりできそうだと思うんだよなあ……。

現状だと、ワイルドセブンにとってセカイは必要だったかもしれないけど、セカイにとってのワイルドセブンってなんだったの……? っていう、ひょっとして彼にとってはなんでもないものだったの……? というようなうがった見方もできてしまうじゃないですか。だからこそ、残されたワイルドセブンのメンツの誰かが、あの場でセカイの心を揺らすなり楽にしてやるなりしてやってもよかったんじゃないの、で、それができそうだったのはオヤブンだったんじゃないの、って思うわけです。

映画的に、というかシナリオ的には本来でしたら、飛葉ちゃんができるといいんでしょうけど、瑛太さんの飛葉ちゃんだとそこまでできるだけの経験値がなさそうだな、とは思いますが。

 

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というわけで、かなりもったいなかったんじゃないかしらっていうのは今更じわじわ思います。それならいっそ、オヤブンじゃない感じのキャラクターを配置して、現在のワイルドセブンの中で最年長者はセカイって話にしておいたってよかったよね。

……ちょっと見たいなそれ。比較的若いメンツしかいないワイルドセブンの中で、ただひとり年長者のセカイがいて、メインのリーダーではないけどかかせない存在、とかみたいなポジションの……。血気盛んな若いやつらと草波さんの間に入れるようなくらいの経験がある……。見たくない……?

ところでなんでわたしこんなにワイルドセブン語ってるの……? そんなにヒゲメガネ好きなの……?

 

 

 

 

 

映画版『ワイルドセブン』を見に行ってたんですけどもさあ……③

友達に「なんでそんなにワイルド7に熱くなってるの? 原作読んでるの?」って聞かれるくらいこの時期エキサイトたしずこ ( @cigarillolover ) です!!

「読んでるよ!! ちなみに最初に読んだのは13巻だよ!!」
「おお……黄金の新幹線……」
「そうだよ!! ワイルドセブンのニューフェイス!!」
「「ユキちゃんデース!!!!」」
アッハッハッハ

なかよし。

意味が不明の方はHIT COMICS版の13巻をお読みください。

 

 

あいかわらず不満点の続きなんですが、いきなりラスト周辺の話をさせていただきます。

まあ、あの敵キャラとの最終決戦がとんでもない肩透かしだとかいうのは置いておいてですね。あれもそこそこひどいとは思いますけど、飛葉ちゃんが乗り込んでいって銃でバーン!! めでたしめでたし、よりはまあ……よかったかなって……。

それより、事件が終わったあとに草波さんが飛葉ちゃんと話すシーンがあるんですよ。そこで草波さんが「本間ユキが出頭したそうだ」って言うのね。でさ、このシーンさ、それだけ言って草波さんは車でブーンって言っちゃえばいいじゃない!?

なのにさ、べらべらと「死刑はまぬがれないだろう」とかなんとかいろいろしゃべりまくるから、「ああこのあとユキはワイルドセブンに入るんだなー」ってわかっちゃうわけなんですよ!! ああはらだたしい

原作の『ワイルドセブン』を読んだことがある人間は、隊員に「ユキ」がいるのは最初からわかってますから、映画に「ユキ」が出てきた時点でハイハイ、ってなりますけど、この映画の対象者は別に既存読者だけじゃないでしょ!?

そしたら、「本来死刑になっていてもおかしくない犯罪者たちが、超法規的組織として働いているのがワイルドセブン」という知識自体があやふやな初見の人とかには、この時点では「ユキちゃんはどうなっちゃうの……?」って思わせないとダメなわけですよ!!

それで、ラストシーンに入って、「あ!! ユキちゃん無事だったんだ!! そっか!! ワイルドセブンに入ったんだね!!」ってさせないとダメなわけですよ!! それを草波さんはペラペラと……余計なことを……!!

 

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ラストのシーンでは、セブンレーラー+6台で走っているところにバイクが合流して、それがユキでしたーって流れなんですけど、これは個人的に

セブンレーラー+6台で、1台の穴が開いているところにそっとバイクが割り込んで、

ユキでした → 飛葉ちゃんびっくり

の方が、予定調和だとしても一応魅せ方としては正しかったと思うの。

飛葉ちゃんと一緒に、ワイルドセブン自体が初見の観客が一緒にびっくりして、昔からのファンは「よしよし」って思って、それでラストになればよかったと思うの!!!

なのに、このラストシーンは草波さんのおしゃべりのせいでまったく驚きがないし、それどころか見つめあうユキと飛葉ちゃん、

おまえらもうやってるだろ

って雰囲気があって、最後いきなりベタ甘になるのね。

 

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飛葉ちゃんの過去の彼女に関するトラウマとかが解消されていないままにユキに惚れた流れも加味すると、セカイがいなくなろうがなんだろうがそこにユキがいるからいいやぁみたいな台無し感。

あと、ここもさ、普段から「セカイ込のワイルドセブンで走っているシーンの空撮」で陣形みたいなものをもっと印象づけておいて、ラストシーンではそこにぽっかりひとつ穴が開いていて……。

ああ、セカイがいないんだなあ……ってなったところに、ヒュッっと入り込むユキ、みたいな感じにしてくれたらよかったなあ、と。

 

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まあ、冷静に言うと、監督さんが基本的にやさしい方なんだろうなあとは思いますね。

このあとの、スタッフロールでのアソビ……カットのあとにすぐふざけた顔したりとか、強盗犯によるエグザイルとか、劇中のキャラと明らかに違う表情見せたりとか、そういう賛否両論な映像があったわけですけど。

それもきっと、自分を除いた家族全員が爆死したかわいそうな女の子はいませんでしたよ!! そういう事件が起きるかもとわかっていて、金儲けのために無視していた悪逆非道の人もいませんでしたよ!! 断絶した親子もいませんでしたよ!! お芝居ですよ!! みんな元気ですよ!! って、やりたかったのかなあって。

そう思うと……まあ……余韻を自分で潰しちゃうなんて甘っちょろいと思いますけどね!!

 

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原作既読者に言わせてもらうと、ワイルドセブンって好意的な目で見たとしてもそこそこえげつないマンガですからね?

ワイルドセブンの隊員自身が情報聞き出すために相手の口にダイナマイト加えさせて実際に火をつけちゃったり、上から建築資材が降ってきて意図せずも拘束してる悪役の首と胴が離れちゃったり、っていうのを「オットット」くらいの感覚でしれっと描いてますからね? 爆死した遺体の話をしながら平気でゴハン食べる人たちですからね?

別に、残酷な映画を見せてくれって話じゃないですよ。でももっとワイルドセブンって乾いてるの。そしてすごくおしゃれなの。

そう思うと、ワイルドセブンという作品を撮るには、この監督さんは優しすぎたのかなあーって思います。はい。

次は褒めます。いいところがまったくなかったわけじゃないのよ。

 

 

 

 

 

映画版『ワイルドセブン』を見に行ってたんですけどもさあ……②

せっかくたくさんの方が見に来てくださるのだから、言葉遣いには気をつけようと思いつつ、なんかこうたぎってしまうと……ねえ……ほら……って感じになっているしずこ ( @cigarillolover ) です。

いいおとななのにな……。

 

 

前回の「日本の演劇界はセリフの芝居より体の芝居に重点おいてるってことかな~」っていう話は、まあ、単純に「自分が日本語ネイティブだからよけいに気になる」っていうのもひとつ大きな影響があるとは思います。

つまり、海外もその傾向あるかもしれないけどそこまではわかんないってこと。まあほら……シュワルツネッガーさんの英語とか聞いてると結構ベダアーってしゃべってますよ、あの人だとまた特殊すぎるかもしれませんが。

で、そのほか気になったところをずああーっとあげてしまいます。

まずはカメラワークですねェ。その「おまえらぜんいん、たいじしてやる」の戦闘もそうなんですけど、飛葉ちゃんとユキの再会シーンとかでも妙にカメラを揺らすんですよ。

その「おまえら」のところなんて、まだ投げつけるべきホットドッグすら消化し終わってないタイミングですからほんとに導入部。その時点でカメラ揺らしをやられると、入り込む前に「あああつくりものだあああ」って思っちゃうからすごくイヤなんですよね……。

あのカメラ揺らしとか特徴的なカメラワークって、よっぽどうまくやらないと「ああ……演出ね……」ってなるのでむずかしいと思うんですけど……。しかもほんとに冒頭のシーンだから、まだ気持ちが入りきってませんしね。

逆に『ショーシャンクの空に』とかは敢えてショッキングなシーンでもカメラを揺らしたりせず撮影したっていうのがコメンタリーの中にあったんですけど、そのほうが視聴してる側にしてみるといいんですよね……。製作者の意図は冷静に分析したらわかるくらいのほうが好みです……。

 

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あとは、誰もが思ったであろう、キャラのたってなさ感。あの尺で7人(※正確には草波さんやユキ、敵方である桐生もたたせないとならないのでもっと数は多いわけですが)全員をたたせるのはムリだと思ってますけど、じゃあせめて話の中核になる飛葉、ユキ、セカイはもっとシナリオの中でたたせないとダメだったんじゃないの? と。

特に、飛葉ちゃんには「自分の過去の女が自殺してる」とかいう設定まで加えられているのに、それがただの設定以上のものにもならずにユキに気持ちがひかれてる。そんな過去があるのに、なんでこんなに簡単かなーって。なら、そんなジュピh日wpこp出しにするよりやらなきゃいけないことって絶対あったよねって思います。

……ジュピh日wpこp出しってなに!?!?

 

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ええと……多分「ジュピh日wpこp出し」は「エピソード小出し」じゃないかな……すごいびっくりした……。

ユキに関しては、回想の中で彼女が復讐に生きるに足る過去が描かれていましたから、あの扱いでもそこそこメインヒロインをはれるんですけど……ほかのメンバーに関してはほとんどテキストデータでしかないですからねえ。

そういう意味では、本来はセカイの話を入れてる余裕はないはずなんですけど、でも「あの世界(notセカイ)の中でのワイルド7」っていうものを見せるためには適切なストーリーラインですし……ううむ……。

思い切って、贅沢な使い方ですが瑛太さんを「ただの飛葉ちゃん」として扱って、ユキとセカイだけを中心に据えてしまってもよかったのかもしれないなーとすら思います。複数エピソードの中のひとつ、くらいの勢いで。

 

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もしくは、ユキの過去やらなんやらをゴッソリ削って、ユキ自身は銃を手にしていても復讐は実行できないっていう、まだ感情移入しやすい普通の女の子(普通の幸せを奪われてしまってはいるけれども、実態としては普通の女の子)っていうポジションにして、飛葉ちゃんが飛葉ちゃん自身の過去とどう向かい合いながらユキと惹かれ合っていくのか……っていうほうに重点を置いてもいいと思うし。

いずれにせよ、この話だと飛葉ちゃんがそこそこ物語の中核を担っているはずなのに空気すぎるんだよね……「ワイルド7っていう作品には飛葉ちゃんがいるから映画でも配置した」って以上の存在になってない……。つまり、飛葉ちゃんに感情移入できるつくりになってないから、飛葉ちゃんがユキを気に入ろうがなにしようが「ただのシナリオ上の展開」にしかならないっていう。

うーん7人全員を描くのはむすかしいのくらいわかる、でも正直7人全員を描いてなんていないんだからさ、だったら中核のメンバーにもうちょっと気をくばれなかったのかなって思います。再会シーンで、働いてるユキを飛葉ちゃんが眺めるシーンにあんなに尺をとってるヒマがあったら、他に入れたほうがいいもの、あったと思う……。

で、ご不満編は今回で終わるつもりだったのですが文字数……ということでまだ続きます。

 

 

 

 

 

映画版『ワイルドセブン』を見に行ってたんですけどもさあ……①

この時期、舞台のほうで吉田鋼太郎さんを拝見していてとっても面白いお芝居だったので、わあい当日券でもう1回見に行っちゃおうかなあ……!! ってウキウキしてたらまんまとインフルもらって点滴受けてたしずこ ( @cigarillolover ) です!!

舞台の期間内に熱は下がったし待機期間も終了したんですけど、そこは大人ですから……ぐっとがまんしましたとも……ッ!!

 

 

というわけで、吉田さん成分補充や、知人が試写会で見に行っていたので、快気祝いついでに感想語り合おうぜというお誘いを受けたのなんかもあり、結構ウキウキで映画館で見てまいりました。

スタジアムと映画館ではものをくう派のしずこはホットドックを買って席についたわけですが、開始早々の銀行襲撃シーンで「アレッものをたべながら見る映画じゃなかったかな……」って後悔したというね?!

まあ、このあともメガてりやき食べながら『グラディエーター』見ちゃったりとかダブルチーズバーガー食べながら『パピヨン』見ちゃったりとかお弁当食べながら『マッドマックス 怒りのデス・ロード』見ちゃったりしてますからこれくらいかわいいもんなんですけど。

さらには、この後別段暴力的なシーンがあるわけでもなく、ドンパチは基本的にカラッとしたものなので、別段ホットドック食べちゃいけないって感じの映画というわけでもなかったですけどね。それより。

その後のシーンで、うわあこのホットドッグ画面に投げつけてえ!! ホットドッグ投擲訓練開始してえ!! って思ってそういう視線でずっと見てしまったので、評価はスッゴク低いっていうことは、最初のうちに言っておきます。

頼みの綱の吉田鋼太郎さんだって、鋼太郎さんのお芝居はすごかったけど、映画全体の中でどれだけ馴染んでたかっていうとむしろ浮いちゃってましたからね? これは役者さんが悪いんじゃなくてもうシナリオだったり撮る側だったり編集する側の問題だと思いますけど。

もう、椎名桔平さん+セカイ関連のシナリオがなければどうなっていたことやら……!!

という話をする前に、ホットドッグ投擲訓練開始の引き金となった出来事とその周辺の話題をしてしまおうと思います。

申し訳ないくらい口が悪いです。

 

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悪逆非道っぽい犯人の銀行襲撃!! → しかしその逃走にあっさりと追いつき、乱暴な手段で犯人をなぎ倒すバイクの集団!! → そのうちの一人がメットを取って……

「おまえらぜんいんたいじしてやる」 なにこの棒

なに!! この!! 棒読み!!!!!

「わぁ、えいたくんこわーい!! それともヒーローかな? さあ、お遊戯の時間はおしまいだからお教室に戻りましょうね~!!」とか言って連れ去らなきゃいけないくらい棒読みで、ビックリしたんですよ!!

役者ってこんなに棒読みでいいの!? これで許される?! それとも あきらめたの!?

 

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そしてこの棒読みっぷりというか、音声に感情もニュアンスも乗らないお芝居、本作のヒロインであるユキを演じる深田恭子さんもそうだから困っちゃうんですよ!! わかりやすく、メインの2人が、棒!!

幸いにしてというかなんというか、2人とも体の演技はすごいというか……特に深田恭子さんは、出てくるとピリッと画面が締まって、すごい存在感があるんですよ。謎の女・本間ユキとしてのミステリアスさがものすごい。

でも、だからこそ、なぜ、声の演技が軽視されているのか? っていうのが、とってもツライんですよねえ……。

見ていて、演技はそのままでいいから、セリフは声優さんがアテてくれないかなあ……って、煽ってるとかけなしてるとかじゃなくてずっと思っていました。なんなら字幕でもいいです。

 

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で、そことのバランス問題として、余計に吉田鋼太郎さんが浮いてしまったっていうのはあると思いますよ。あの方、フィジカルな演技や存在感(そして役柄によってはその存在感を消すところの演技まで)がすばらしいですけど、それと同じくらいセリフにもものすごい載せてきますからね、いろいろな……感情なりニュアンスなり……すべてを……。

もうあの、ラスト近くの悪役笑いとかすごいですよ、殴りたいくらい悪役ですよ。普段役者としての吉田さんが好きあっても、ワイルドセブンがんばれ系の気持ちになってしまうくらいの悪役ですよ。

でもそれが、うますぎて浮いちゃうの。もったいなかったなあ……。

 

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というわけで、ああ、日本の役者さんって、体の演技ができたら声の演技はできなくてもいいんだなー、っていうか、業界的にもそういうもので、それでファンもそう思って見てるってことでいいのかなー、って、すごくすごく寂しくなってしまったので、余計に椎名桔平さんの存在が染み入るっていうね。

その話は、また次のエントリにて。

 

 

 

 

A.I.がとっても自分に合わなかった件 ☆0で…… (ネタバレ含む)

元々「家族モノ」に対して点が辛い自覚はあります、しずこ ( @cigarillolover ) です。

ただ本作に関してはぶっちゃけそこじゃなくてですね……。作品全体が嘘でしかできてない違和感がもう……。

 

 

『ネル』を観たときに「文明を知らないってことが純粋って意味なの? ただ単に教育を受けられなくて物質文明に対応してないだけでじゃないの?」という感想を漏らしてドン引きする人と同意してくれる人にわかれたけど、今作もそんな感じでしょうか……。

まず、出産に許可がいる近未来、という設定がまったく生かされていないように感じます。さらにロボットへの反感が高まっている世の中に対して、感情を持つロボット……より人間に近いロボットを一般家庭にリリースするのもいまいち理由がわからない部分もあります。

そしてそれ以前に、「不治の病を抱えて冷凍睡眠をしていていつ起きるかわからない息子」がいる母ではなく「出産許可が下りない家庭で母になることを渇望している女性」こそメインターゲットなのでは? と思うんですよねえ。だからスウィントン夫妻のもとにデイヴィッドが預けられるのが、既に不思議なんですよ。

モニカにしてみれば、いくら自分の息子が目覚める可能性がほとんどないとはいえ、そんなときに実子と同じくらいの年齢で背格好の少年ロボットを「これ新しい息子だから」と言われても、普通、納得できないでしょう。

実の息子を完全に失ってしまったあとに、どうしてもその喪失感に耐えられずに同じ年頃の少年を求めてしまう……とかのほうがまだわかります。というか、実の息子が冷凍睡眠状態とはいえまだ生きていて、妻がその希望を失わずにいるというのに、事前に何の相談もなく「不治の病の息子と同じ年頃の少年ロボット」を勝手に持ち帰ってくるとか、ヘンリーはいったいどういう夫なの……この夫婦大丈夫なの……?

モニカの精神状態だって、ちょっと正常とはいえない感じですよね。息子の回復に対して希望を失わずにいる……とは書きましたが、そこは本人もそう信じるしかないというだけだったのではないかとは思います。ただ、ヘンリーがそれを見て「このままじゃいけないな」と思っていたとしても、やはりデイヴィッドをこの家に投入するのは悪手としか言いようがない。

ううんやはり「出産許可が下りない家庭で母になることを渇望している女性」の家庭にリースしてみて、嘘家庭ごっこをしてくれた方がいろんな設定が生きると思うんですよね。それなら「偽り」が前提でもまだ救われない悲しさみたいなもので話がまとまるんですが……。

 

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……んまあこの家庭環境に預けたんだからそれは言っても仕方がないとして、不治の病の息子が回復する点についてもつっこまないとしましょうか。じゃあなぜそのときに、デイヴィッドの引取りをサイバートロニクス社に打診しなかったのか? なぜ、マーティンとデイヴィッドを一緒にしたままだったのか? 預かった時とは条件が変わったのだから、それは普通に検討してよいことだと思います。

また、マーティンが戻ってきたということと、デイヴィッドを雑に扱うということは、そこまでイコールじゃないようにも思うんですよね。もちろん「マーティンが戻ってきた」という直後のモニカの気持ちは察することができますけど、だからといってマーティンがデイヴィッドに何をしても不干渉だとか、ベッドから追い出してほかの寝どこも与えないとか、諸々どうなのかな、と思うわけです。

もちろん、お腹を痛めて産んだ(※この世界で自然分娩なのかどうかは語られませんが)子供と、夫が勝手に持ち帰ってきたロボットの子供への愛情に差があるのはわかります。でも、それが即無関心になるっていうのがすごく気になる……。やはりロボットはロボットでしかないという思想なのでしょうか。

デイヴィッドがナイフを怖がった一連の行動に関しても、なにの裏を取るでもなく……シナリオ的にデイヴィッドをかわいそうな立場に置いて、同情を集めたいのはわかるんですけど、それにしたっていろいろ不自然なんですよ……。あと、食事機能がついていないのにマーティンに煽られて野菜を食べたときに、デイヴィッドの下あごがどろどろ溶け出すという演出は完全に悪意を感じました。

そして不法投棄。どうやら「会社に返したら破棄される」という契約だったようですが、いらないロボット息子もどきだと思うんなら返せばいいんじゃないですかねえ……だってモニカの対応はずっとそうだったでしょう? なぜ今更?

しかも、反ロボット組織がジャンクロボットを捕えて破壊するショーがあるということも知ってるのに、その存在自体を教えることもなく不法投棄。自分で処分を依頼する度胸はないのに目につかないところで破壊されるならOKなの?

一応、この時のモニカは罪悪感を抱えているっぽいのですが、それなら「プログラムを変えてウチで預からせてくれ」とか「本当に破棄されてしまうのか」とかいくらでも会社に問い合わられるじゃないですか……。

なにひとつ納得できないというか、デイヴィッドを苦境に立たせるためにあれこれやりすぎていて……。スウィントン夫妻に共感できないのはむしろ狙い通りなのかもしれませんが、その積み重ねのせいでこの映画そのものへの共感がむしろ薄れちゃうんですよね。全体的に行動に突っ込みどころが多くて、回避策がありそうのになぜ回避行動をとらないのか、それって「シナリオ的にそうされたら困るから」しか理由が見当たらないんですよ。

それじゃいかんと思うわけですよ……。スウィントン夫妻の気持ちもわかるけど、こうなってしまったのね、っていう一貫性がほしかったわけですよ……。このままじゃスウィントン夫妻がただの悪役でしかない。そこで、「ああここで観客にデイヴィッドかわいそうかわいそうってなってほしいんだな」っていう押し付けが見えてしまって、映画の底がすごく浅くなっているわけです。

 

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このあとに出てくるセックス・ロボットのジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)の動きはいかがわしくて本当に素晴らしいです。いやらしいとか卑猥だって意味ではなくて、普通に「ロボロボしいとは言わないが人間ではない ディズニー版美女と野獣のガストンみたいな」気取りきった動き。そしてそのジゴロ・ジョーは途中退場するんだけれどその途中の「I AM!」 「I WAS」 という短いセリフが忘れられません。

戸田奈津子さんの訳では「僕は生きた!」 「そして死ぬ」 でそれにもぞくっときました。

ただ、あらすじでざっくりカットしてみてもたいして本筋には問題がなかったように、ジゴロ・ジョーに」ついてここまでつくり込む必要があったのかなとは思います。

さて話を戻しまして偽物に祈り続けて活動停止したデイヴィットは2000年後に氷漬けになっていたところを何らかの生命体によって蘇生させられるわけですが、これ前回も触れたように、なんの予備知識もなしで見ていると単純に「地球外生命体」にしか見えないんですよね。

そうなると、「人間とロボットすら描き切れてないのにすごいの出てきちゃった!!」っていう風になって、また白けてしまうわけですよ。どうやらとても高性能なA.I.とのことですが、視聴時に白けてしまった感覚がそれで取り戻せるかと言われるとそうでもありません。

そしてその地球外生命体っぽいA.I.により、1晩だけ再生されたモニカがうっすら眠りから目覚め、デイヴィッドの名を呼び一緒に眠るわけですが……まあこのシーンは、あとから考えると前回のこのシチュエーションでは、マーティンにそそのかされてモニカにハサミを向けるというシーンであって、それを払拭するかのようにベッドの中に迎え入れてもらえるっていうのはほのかな救いであってよいシーンと言えるのかもしれません。

また、マーティンが戻って以降、ベッドをモニカを奪われていたデイヴィッドが、モニカを独り占めして眠りにつく……というシーンも、象徴的でよいのかもしれません。

ただ、それらのシーンを「ここまで長かったねデイヴィッド!! もうモニカの胸でゆっくり休んでいいんだよ……!!」っていうウルウルした気持ちになれないのは、冒頭で述べたように「作中に嘘しかない」からなんですよ。つくり話だからこれは嘘だ!! っていうんじゃないです。

 

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・モニカからデイヴィットへの愛は今更言うまでもなく本物の愛じゃないって事
・ジゴロ・ジョーの知識も「セックスロボットとして教えられた範囲内」で本物じゃないって事
・探し続けている「ブルー・フェアリー」自体が実在しないこと
・地球外生命体が再生したデイヴィットの家やモニカも現実とは言いかねること

そして

・そもそもデイヴィットからモニカに対する愛も「プログラム」であって本物の愛じゃないって事

「子供が母を愛するように愛せ」とインプットされているだけであって、これって「心を持った」じゃないですよね? 「心っぽいプログラムと人間っぽい反射を持った」ですよね? そのプログラムによる反射で「愛」とか「マミィィ」とか言われても「茶番劇だとしてもこれくらいやらなきゃね(by草薙素子)」ってしか思えないんですよ。

なので、この「プログラムによって強制的にそう思わされてそう行動させられている愛」っていうものを、無邪気に「無償の愛だわ!! だって子供から母親に対する愛だしね!!」って思うことができない時点で、この映画の根本がすっごく揺らいでいるわけですよ。

「親は我が子を愛するものである」
「子は我が親を愛するものである」
「そしてそれは普遍の事実であり例外はないものとする」

みたいな、信頼できる素敵な親子関係で健全に育った人間ゆえの理論が前提にあった上で泣かせに来ようとしているので、そうではない場合を知ってしまっている身としては、その前提におぞましさを感じてしまうんですよ。

 

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あとは、物語の後半が、完全にデイヴィッドだけを追っているのも個人的にはスッキリできなかった理由です。

今後の主力商品になりうる「愛するメカ」を会社から貸与されておいて、妻がそれを不法投棄するとかってヘンリーになにか罰則あってほしいわ……。

「息子のいない寂しさを紛らわせておいて息子が戻ってきたらポイ」したモニカも、「世紀の発明品」を「ただのメカ」として馬鹿にするマーティンも(テメエの父親はそのロボット様を作る会社で金稼いでんだよガキが! なめんな!)「息子は目を覚まさない可能性が高いからかわりにメカでいいだろ?」なヘンリーも途中で話から消えてしまって、そこの因果応報的な流れが一切見られないんですよね。

スウィントン夫妻の存在は、製作にしてみれば「デイヴィッドをこの状態に追い込むための舞台装置」でしかないのでしょうが、デイヴィッドに感情移入をさせるのが目的としてそう描かれたということは、視聴者はデイヴィッドと同様に傷ついたりデイヴィッドのかわりに怒ったりするわけで、それだけ感情を揺さぶったのだから、それなりに落とし所をつけておいてほしいと思うわけですよ。

「わが社の世紀の発明品に対してなんてことをしてくれるんだ管理監督責任を問う」ぐらいの吊るし上げは受けていてほしいわぁ……。

社外機密をロストして締め上げられるヘンリーでも、ジャンクショーで破壊されるデイヴィットの夢を見つづけるモニカでも、人間 < 機械でまったくサイバートロニクス社の開発チームに相手にされないマーティンでもなんでもいいんですけどそういう罰則が欲しかったなあー。

それかもしくは結局マーティンを亡くして(例えとはいえひどいことをいって申し訳ない)今度こそデイヴィット!! ってなったのにフォーマットされてて他の人を「マミィィ」って読んでるデイヴィットを見ちゃうとか、そのころには「あなたのデイヴィット」が商品化されてて街の中歩いてるモニカが徐々に追い詰められていくとかね!!

「せめて顔をわたしのデイヴィットにするのをやめて!」ってサイバートロニクス社の開発チームに訴えたモニカが鼻で笑われればいいよね!!

 

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ラストの一日、地球外生命体的A.I.は「再生しても1日しかもたない」ことを継げながらデイヴィットに「君には幸せになって欲しい」って言うわけですよ。そしたらデイヴィットは「僕の幸せを考えたんならどうすればいいのかわかるでしょう(=モニカを再生してよ)」みたいに食い下がるんですけれど、モニカのタンパク質が残っているというのに地球外生命体がそう言うこのシーンだけが、唯一この映画の中で組み立てあげてきた嘘と気持ち悪さに対する冷静さなんだよなあ。

まあ、結局デイヴィッドが折れずにモニカが再生されるわけですが、ここでうっすら目を覚ましたモニカがデイヴィッドの名を呼びかけるのも相当ご都合主義だよな、とは思います。

……そもそも「人間じゃないから愛されないんだ」っていうデイヴィットの思い込みからして間違ってるじゃないですか。デイヴィットが人間になってもモニカには愛されない。モニカにそこまで深い愛情はなく、マーティンのかわりかそれ以下ですもの。だからまどろんでいるモニカが、第一声でデイヴィッドの名を呼ぶことは考えにくい。これはA.I.が気を利かせて、デイヴィッドにとって都合のいいモニカを再生したのかしら……。

ここで再生されたモニカがデイヴィットに対して「マーティン」って言ってくれたら拍手したんだけど。

 

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と、いうわけで、いろいろ自分の中でここが気になってしまうポイントがことごとくひっかかってしまった関係で、『A.I.』はほんとに合わない映画でございました。ずーっとずーっとどこかで言葉にしたいなあと思っていたので、ある程度出すことができて少しはスッキリいたしました。

あと、あらすじ紹介でも書いたように、「そもそもこの映画は親子愛の映画ではない」という見方もあるようでして、そういった意味では日本のマーケティングに踊らされてこの映画を正面から見ていない可能性もありますので、当然これ以外の意見っていうのはあって当たり前だと思いますよ。

ただ、オスメント少年がかわいくてけなげで泣けちゃう感動モノ!! っていう意見に関しては、個人的に賛同できかねる理由がこんだけありました、っていうお話でした!! ああおなかすいた!!

~さらに追記~

これ逆に、サイバートロニクス・マニュファクチャリング社がすべてわかっていてスウィントン夫妻に委ねた可能性がでかいなって思い始めたのでそういう意味では最初から受けなくてもいい報いしか受けていなかったのかもと考えるとぞくぞくするほど面白いな!! その場合、マーティンの病気すらしくまれてるんじゃないかと思うわ!!

 

 

 

 

 

A.I. 感想の前のざっくりネタバレまとめ

2001年日本公開の映画『A.I.』感想前のざっくりネタバレまとめです!!

最初から正直に申し上げておきますと、個人的にこの映画まったくあわなくて、ツッコミ入れたくてたまらないやつの書いたあらすじですので、手厳しいですというかなんというか愛はないです。また、結構前に1回見ただけのまとめなので、所々で記憶違い・読み違いが発生している可能性があります。

その点ご了承のうえお読みくださいませー。結末までの展開を書いてますので、そちらもご注意を!!

 

 

まず世界観としては、出産が許可制の近未来ということになっており、社会的には「減る人口、増えるロボット」ということで反ロボット的な思想もある模様。そんな世界で「痛み」などを感じて学習するロボットは既に完成していましたが、サイバートロニクス・マニュファクチャリング社が「愛」という概念を持つ少年型ロボットのデイヴィッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)を開発します。

そしてそのデイヴィッドを、不治の病を抱えて冷凍睡眠中の息子を持つスウィントン夫妻に預けます。スウィントン夫妻の夫、ヘンリー(サム・ロバーズ)はサイバートロニクス社の従業員です。

医者的には「スウィントン夫妻の息子に望みはない」という見解のようで、ヘンリーもそう思ってはいるようですが、妻のモニカ(フランシス・オーコナー)は諦めきれず、意識のない息子に絵本を読むなどしており、精神的にはかなり追い詰められているように見えます。

ヘンリーはモニカに相談なくデイヴィッドを連れてきたため、彼女には息子をあきらめる覚悟もデイヴィッドを受け入れる覚悟もないまま、一時的な気持ちでデイヴィッドへ「母親」としての定着作業を行ってしまいます。

その後、自我を持ち動き始めたデイヴィッドの扱いに困り、クローゼットに閉じ込めたり夜間外出の際にも家に放置したりするのですが、そのうちモニカも愛着らしきものを持ち始め、デイヴィッドに接するようになります。

 

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しかし、スウィントン夫妻の実子であるマーティン(ジェイク・トーマス)は、奇跡的に快癒してスウィントン家に戻ってきます。この時点でモニカは完全にマーティンの母親主体になります。

それまでデイヴィッドを寝かせていたマーティンのベッドから追い出し、デイヴィッドには代わりのベッドすら与えられず、そのあたりで膝を抱えてモニカの読み聞かせを聞いて夜を過ごします。

また、実子であるマーティンはこれでもかというほど性格が悪く、食事をする機能はないが食卓に同席しているデイヴィッドを挑発したり、モニカに愛されたかったら彼女の髪の毛を切り取ってこいとなどと騙します。

そしてまたマーティン周辺の友達も結構な悪がきで、デイヴィッドがロボットであるということを知って、ならナイフで傷つけようって発想が出てくるタイプで、それを怖がったデイヴィッドがマーティンを巻き込んでプールに飛び込み、デイヴィッドの重みでマーティンが浮き上がってこられず全員がパニックになったことが大きなきっかけになって、モニカは「野良ロボットを捕まえて公開スクラップにするショーがあると知っていながら」デイヴィッドと、デイヴィッドに唯一与えた喋るクマ型ペットロボットのテディ(声:ジャック・エンジェル)を森に捨てに行きます。そして案の定、そのスクラップ・ショーに連れ込まれます。

 

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デイヴィッドは、そこでセックス・ロボットのジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)と出会い、どうにかして抜け出します。そしてモニカにもう一度愛されるためには人間になるべきだと考え、人間になる方法を知るために「願いを叶えてくれるおとぎ話のブルー・フェアリー」を探して旅に出ることになります。

旅の途中でジゴロ・ジョーは回収されてしまいますが、デイヴィッドは無事に示されたブルー・フェアリーの所在地へたどり着きます。しかしその旅自体がサイバートロニクス・マニュファクチャリング社ならびにデイヴィッドを開発した博士により仕組まれたもので、そこにいたのはブルー・フェアリーなどではなく、大量生産された「デイヴィッド」と博士とから事実を告げられる通信があるのみでした。

そこから逃げ出したデイヴィッドは最終的に海に落ち、ブルー・フェアリーと出会いますが、それは水没した遊園地の中にあったただの像でした。しかしデイヴィッドは、その像に祈りを捧げたまま意識を手放します。

それから、人類が滅亡した遠い遠い未来に、デイヴィッドはより高度なA.I.たちに再起動されます。そして彼らに1つ願いを叶えてもらえることになり、「かつてマーティンに騙されて切り落としたモニカの頭髪」を持ってしてモニカの再生を希望します。クローンで再生された人間は1日しか生きられませんが、ベッドでうっすら目を覚ましたモニカはデイヴィットの名を呼び、ベッドでふたりは眠りにつくのでした。

……というようなお話でした。

 

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ちなみに、ジゴロ・ジョーに関してはもう少しエピソードがあったのですが、本筋に関わりがないのでここではばっさりカットしてあります。また、デイヴィットを再起動させたのは人類が滅んだあとに残った高度なA.I.というのは、映画を見たあとにネットを見ていて知りました。普通に知識無しで映画を見ていると、急に地球外生命体が現れたように見えて、なんだかなにもかも放り投げて別次元の世界で話を終わらせるのか、と思ってすごく白けてしまったのを覚えています。

いや、個人的に白ける部分ってそこだけじゃないんですけど……。むしろ原作の『スーパートイズ』がどんな話なのかを知りたいですねえ。こんなんなってしまったのか、もとからこんなんなのか。

 

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~追記~

コレって「難解な哲学映画」なのか……。わたしは、日本で宣伝された「母子の愛」であるかどうかは別としても、完全に「愛情」というものを描いた映画であると思って見ていたので、そういう意味ではものすごく捉え間違えている可能性が高いですネ。これは「捉え間違えている可能性がものすごく高い」でもあれば、「ものすごく捉え間違えている」でもある感じです。ハイ。

 

 

 

 

 

特攻野郎Aチーム THE MOVIE 感想 ネタバレ含む

結構楽しみにしてたんだけどなー。ラストがいかんともしがたいよなー。という感じでした。

 

 

80年代に放送してたテレビシリーズは見ておらず、自分にとって『特攻野郎Aチーム』は2ちゃんねるのネタでしかなかったという感じだったので、この「面白いか面白くないかと言われると微妙」という感じがテレビシリーズを見ていないからなのかどうなのか判断が付きかねますが……。

何度か手をたたいて笑うようなシーンもありましたし、話がぽんぽん進む爽快感もすごかったんですけれど、じゃあもう一回見る? って言われると、結構ですって即答できますね。

話の爽快感が諸刃の剣で、手に汗握ることにはならないんですよ。すごいなとかAチームがんばれとは思っても、ウワーどうなっちゃうのここから起死回生の手段はあるの!? みたいな気持ちが沸かないんです。

それはAチームに対する信頼でもあるのかもしれませんが、そもそも物語の根幹の部分以外のところでなにもかもがうまくいきすぎなんですよね。そうなると「今回もなんとかするしなんとかなるんでしょ?」って一歩引いてみてしまう。「どうやってこの状況をなんとかするんだろう?」っていうより、「どうせどうやってもなんとかなるんでしょう?」って突き放してしまう。

別に、ツッコミをしようと思って映画館に行ったわけでもなく、普通に楽しみにして向き合っていたというのに、2時間でここまでドライにさせてしまう爽快感はちょっと問題かなあ、と。どこかに失敗なりなんなりが欲しかったと思います。

むやみに死別を入れたりして涙を誘え! とかそういう意味ではないですよ。でも「えーそんなムチャな」をこれだけ繰り返されれば「ほーん、で、今度はどんなムチャしてくれちゃうの?」っていう観察に近い感じになって、ハラハラしないんです。そうすると同時にドキドキもしない。

まったく心を動かされないということでもないですよ。じんとくるというか、ぐっと切ないところもあります。ただ、トータルでの緩急がなさ過ぎる。でもノンストップハイテンションというにはちょっと弱い。そんな感じですね。

 

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しかし、最終決戦がフェイスの作戦で、ラストのシーンもフェイスがいいとこどりなんで、なんでしょうこの『特攻野郎 THE FACE』は……?

B.A.が飛行機に乗る前に薬を打たれるお約束とか、マードックが大切なときに大切なことを言うその役割とか、そういうTVでのお約束はやってくれているんですね。このへんはあとからちょっと調べました。

その上で、B.A.が非暴力に目覚めたり、最後の決戦で衝撃を受けたマードックが「正常に戻ったかも」なんて言ったり、フェイスが一人の女性に夢中になったり、大佐が作戦をフェイスに任せたり、全員がTVシリーズから卒業するチャンスはちゃんと作られていたと言うのに、そのどれもが中途半端で、映画としての独自路線を立てたとも言いがたいんですよね。ただキャラがブレて終わっただけというか……。TVシリーズをご覧の方にはどう映ったのでしょう?

それとラスト。彼らは「不名誉除隊」を受けてさらに友人であった将軍を亡くしているんですよね。肩書きも剥奪されてさらに懲戒免職されてさらに懲役10年。だからこそ、大佐は「地位と名誉」を取り戻すために戦っていると思ったのですが……これ、ラストに至っても「地位と名誉」が別に回復していないんですよね。これって結構致命的だと思うのですが。

彼らは、脱獄して黒幕を引っ張り出し、そちらの面では決着をつけたわけですが、今度は脱獄の罪で護送車に閉じ込められます。そしてラストカットで、フェイスが口から手錠のカギを出しておしまい、なわけですが。

これ、ここでニヤっとしてほしいんでしょうけれど、護送車から逃げたらなんにもならなくないですか? 彼らの地位と名誉を取り戻すなり不名誉除隊を取り消すなりするのって、結局軍の方でまた裁判するなりなんなりという手順が必要ですよね?

ニヤっとさせたいなら、軍事法廷で不名誉除隊を受けたはずの彼らが、結局いつもどおりにチームを組んで活躍している数年後オチとかの方がよっぽどよかったのですけれども……。剥奪された「地位と名誉」に対するケアが欲しいんですよ、だってそれが話の始まりなんですし。

そこまで描くのは無粋だな~とは思いますけれど、それなりに「そこ」を到達点にして、それを匂わせるラストにしてほしかったです。口から手錠のカギを出す、っていうのは、このままおとなしく護送されないんだなっていう直後の未来を想像はできますけれど、「いつの間に目的が “捕まらないこと” になったの?」と思うと、あまりよいラストであるとは思えませんでした。

なお、スタッフロールのあとにも続きがありますよと映画館で繰り返し言われていたので、そこにそういうワンカットでもあるに違いない!! と期待をかけましたが、どうみても地位と名誉が復活したようには見えない大佐とフェイス、マードックがチラっと映されるだけでした。ガッカリ。

話の主題が反れたうえ、途中までの爽快感に比べラストにカタルシスがなかった点で、おばか系娯楽映画にもならず……ちょっともったいない作品であったなあ、という感想です。びっくりしてポップコーンひっくり返すような映画を期待していったのになあ!!

 

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あとは、マードックの描写がどうしても……ちょっと……。

1980年台の、精神疾患、PTSDへの理解が少なくて電気ショックをかけちゃったりしている時代の描写をそのまんまやっていることが残念ではありました。いや、そうじゃなきゃモンキーじゃないよ!! って意見も当然あるとは思いますけど。デリケートな部分であるからこそ配慮が欲しかったですね。

そこはとても残念でした。

 

 

 

 

 

2009年6月13日 天元突破グレンラガン シネマサンシャイントークショー

2009年6月13日に行われたグレンラガンオールナイトイベントのトークショーレポートだよ! ネタバレ超含まれてるよ! 見たくない人は注意が必要だ!

 

 

池袋にあるシネマサンシャインで、『劇場版グレンラガン』の『紅蓮篇』『螺厳篇』を一気に上映するというイベントでした。その『紅蓮篇』『螺厳篇』の間に、ガイナックス宣伝担当者の真鍋義朗さん、今石洋之監督、大塚雅彦副監督、そしてシリーズ構成の中島かずきさん、ゲストの樋口真嗣監督が登壇し、自由気ままにグレンラガンについて語っていただく場となりました。

基本的に中島かずきさんという性質上、その場のノリでポン! と冗談半分で「おもしろさ優先」の発言をなさるので、「原則、形にのこらないその場限りの面白い話題」という程度でお読みになるのがよろしいかと思います。

 

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『紅蓮篇』の上映が終わり休憩時間を取った後、まずガイナックス宣伝担当者の真鍋義朗さんが登壇。この時点ですでに観客はハイになっていて、巻き起こる真鍋コール。その後、真鍋さんによる紹介とともに、今石洋之監督、大塚雅彦副監督、シリーズ構成の中島かずきさん、ゲストの樋口真嗣監督が登壇。

ちなみに開始直後に場内へ確認をとったところ、この時点で『螺厳篇』をご覧になっていない観客の方も多数見受けられたため、「あまり突っ込んだ話ができないね」という判断から「じゃあ、ネタバレの時は手を上げますから耳をふさいでください」という対応に。ちなみにグレンラガンは毎回収録後飲み会を行っていたのは有名な話かと思われますが、その際あまりにも中島さんが吹くので「ネタか提案かわからないから提案なら挙手して」と言われていたそうです。

さて、順番通りではないし、言葉も正確ではないんですが、以下トークショーのオイシイところだけ抽出しておこうと思います。

・おかげさまで紅蓮篇より評判がいいです。ありがとうございます。(中島さん)

・螺厳篇の第一稿は、キタンの「バチョーン!」という叫びから始まっていたんですが、面白すぎるので却下しました。(今石監督)

・次に出るリボルテックはアーテンボロー。リボルテックアーテンボローです。アーテンボローいいな大好きです。アーテンボローを出すだけでオチになる。(中島さん)

・アーテンボローだけ中ワリが多いです。ああいうのは頼まなくてもアニメーターがよろこんで描くんですよ。ちゃんと描かなくていいから。(今石監督)

・「なぜブータは大きくならないんですか?」大きくなってますよ。気付かないのは周りの人間が成長しているからです。四部のシモンは20mです。(中島さん)

・「エンキドゥルガーのドゥルガーはインドの女神からですか?」そうです。よくわかりましたね。最初はエンキドゥイットユアセルフにしていたんですけれどダメだったのでドゥルガーにしました。でも吉成(※メカニックデザインの吉成曜さん)から上がって来た時はエンキドゥドゥドゥドゥドゥ……って書いてあった。(中島さん)

・でも檜山(※ヴィラル役の檜山修之さん)なら絶対格好よく言ってくれるよね、エンキドゥドゥドゥドゥ……/絶対格好よく言ってくれますね(中島さん&今石監督)

・もし天元突破ロシウがあったとしたら、絶対アゴデコだよね。/アゴデコですね。/鼻毛すごいことになるんだよ、もうあの鼻毛を緑の炎に……(中島さん&今石監督)

・こんな感じで喋っているので、飲み会の時に設定なら手を上げろと言われたわけですね(中島さん)←人ごと?!?

・「一番ガンメンの扱いがうまいのは誰ですか?」やはり螺旋族を率いて戦ったロージェノムが一番でしょう。(中島さん)

・よく考えたら天元突破ロージェノムじゃない。なんで字出さなかったの? /忘れてた。(今石監督&中島さん)

・「ヴィラルの右目はどうなっているんですか?」右目はフジテレビに行っています。右目はないです。次のフィギュアはヴィラルなんですけれど、設定として作っていないので、メーカーさんに聞かれても困る。○○が(失念……)こだわってたんだよね。一度鬼太郎のフィギュア見てみようかなあ。/あれ、出来のいいのは鬼太郎の右目に入るんですよ。/そうなの! じゃあロージェノム入れとけばいいか。(中島さん&今石監督)

・でも今回光ってましたよね? /何かの反射でしょう。(真鍋さん→中島さん)

・「涙の種、笑顔の花ができてから影響された部分があると聞きましたが」ニアは植物生命体なので、植物で世界征服を企んでいました。シモンのセリフは曲ができてからですね。(中島さん)

・あれです、結構生死が変わったキャラが多いので……そういうのを描きたしているのが、結構楽しかったですね。(今石監督)

・なにもないところで口パクしてるガンメンとかいますよね。/いや、あれは中に口を動かすレバーがあって、バカヤロウって言う時はこう……(手をギアチェンジみたいに動かす)(真鍋さん→中島さん)

・今、全国の映画館を見て回ってるんですけれど、こう何度も見てると映画よりお客さんの反応の方が楽しいですね。/なに、お客さんチェックしてるの? ノーモア映画泥棒? /グレンラガンのファンにそんな人はいません! (大塚副監督&中島さん)

・でもこれもう映画じゃないよね。映画じゃないんだけど、なんか癖になってもう一度見てしまう、そういう意味では成功だよね。/成功ですね。(中島さん&今石監督)

・映画館で大塚副監督を見てもいじめないでください。(中島さん)

・舞台ならともかく、そこにあるのはただのフィルムなのに、フィルムに向かって拍手してくれる。こんなに嬉しいことはないですね。(大塚副監督)

・池田さん(※螺旋王ロージェノム役の池田成志さん)の声は普段もう少し高いんです。あのヘンなロージェノム……あ、ここ手をあげるところですね、あのヘンになっちゃったロージェノムの時の声、あれくらいが普段の池田さんの声です。(中島さん)

・○○(失念。たしかガンメン)のフィギュアよかったですよねえ。なんでこれ作画の時になかったんだろうと思った。(中島さん)

・「コミックス続きますよね!」僕に言われても。(中島さん)

・「エンディングの時に出てくるアイコンにはそれぞれどんな意味があるんですか?」あれは、各キャラクターをモチーフにしたアイコンです。でも小さいし早すぎてわかり辛くなってしまいました。/アーテンボローは何?/アーテンボローはたしか目の形か……鼻かな、あの鼻の形にしましたね。/みなさん、DVDで確認してください。出たら確認してください。出ます。多分出ます。(大塚副監督&中島さん)

・皆さんこれから映画見るんですよね。頑張ってください。我々は年なので、寝ます。(中島さん)

・(見てえものは見てえんだ!! について)あれはねえ、モザイクがダメだったんだよね。/え、モザイクが? だって普通の番組で普通に使われてますよね、モザイク。/それがね、アニメのほうがそういうの厳しいんだよね。モザイクがダメだったんだよ。(真鍋さん&中島さん)

・モザイクもセルにすればよかったんじゃない?/ああ、一個一個描いて! これはモザイクじゃありませんよと。/たまに色指定間違ったりしてね。/ヘンな色になる。(たしか樋口さん&中島さん、もしくは今石監督&中島さん)

 

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以上、一時間のトークショーはだいたいこんなノリで行われました。退出する皆さんを拍手とありがとうの声でお見送りしたのですが、このあとの『螺厳篇』は寝ていらっしゃる方もちらほらと……。

ちなみに『螺厳篇』終了後の解散時刻は始発前であったため、近くに座っていた女の子と朝ご飯を食べに行ったのですが、そこで「入場特典の配布フィルム、『紅蓮篇』ではカミナとヨーコで、『螺厳篇』では黒ニアだったんだけど、人物入ってるところしか配ってないのかな」と不用意に言ったらその子が「わたし……ガンメンの足……!!」って愕然としていたので、本当に悪いことしたなと思っています。