SHORT PEACE 感想 『火要鎮』

視聴後、ネット上の意見なんかを少々拝見してみると、『九十九』が一番つまらないという声がそれなりにあったものの、自分としてはこの『火要鎮』のほうがどうでもよかったなあ、というのが正直なところです。

 

 

一応「元になった古典はいろいろある」と言われても、男に会いたくて失火を起こす……まあ今回の場合男に会いたくて失火を見逃すですが、そういうモチーフになるとどうしても『八百屋お七』が強すぎますよねえ。

そんな気が触れたような恋に生きる人間なんてひとりでいいと思いますし、めったにないからこそ物語になってまで語り継がれているのでしょうし、それだけ強烈な話題を今更やられたところでなあーと。

もちろん『お七』も参考には挙げられていて、その影響があることが隠されてるわけでもなんでもないんですがネ、強烈な話だからこそ既視感がすごいというかなんというか、既視感がすごい。

誰かが観たことあるかもしれないものはつくっちゃいけないという決まりはないですし、この作品は「いかに江戸を再生するか」にかけていたとはあとから知りましたが、刺青の描写がすごかろうが炎の描写がすごかろうが「ん……だからそれで……」という感覚が否めない。

火消しが家を引き倒すところとかは迫力ありましたが……ううん……。むしろ火消しや江戸の町なんかを描きたいのだったら、半端な筒井筒なんかいらなかったんじゃないかしら、と。

 

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自分より制作サイドの方が江戸については間違いなく詳しかろうとは思いますよ、思いますけれども、あの時代に生きてて失火を見逃すとかってできる感覚なのかなあ? と。

もちろんできるわけがないでしょうし、それでもやらかしてしまうほど幼馴染に会いたかったのでしょうけれども、どうもね。そこまでの執着が見えないから、なんかヘンなんですよ。

尺的に、松吉とお若について「思いあってはいるだろう」とわからせることはできていても、町中が炎にまみれようとも再会したい、とまでの愛情関係は成り立ってない印象を受けるので、なんというか全体的に「とってつけた感」があったなあ、と思うのです。

男女ともに、声がやや単調なのも手伝ってるかもしれない。単調といったら言葉が悪ければ、「妙に今風」ってことね。泥臭さが一切ない。なぜここで森田成一さんだったのかしら。

 

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ふと思ってしまったんですけれども、この松吉っあんはお若が失火を見逃したって知らないんですよね。

それを知ったら、それを知ったらいったいどうなったんだろう、そっちのほうが一本書けんじゃねえのか、と思ったら、すごくゾクゾクして、その可能性についてだけならすごく面白くなってきちゃいました。

本編は、いくら「描きたいものを描く」ためのものだったとしても、やはりちょっといろいろ足りなかったなあという印象です。

 

 

 

 

 

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