映画『パッチ・アダムス』が妙にひっかかってしまった件とその解消まで④


このエントリは視聴直後に身内向けに書き散らかした文章を再構築しています。
いつもよりちょっと乱暴な感想になっておりますのでご注意ください。
(初出:2012年 mixiにて)


さて、前回更新の最後でも触れましたように、このエントリに関しては「映画 パッチ・アダムス」に関するモヤモヤについては触れておりません。

 

 

今回、この連続エントリを更新するにあたって再度モヤモヤしてきてしまったほど、映画そのものについては解消し切れていないようです。自分のことなのに他人事みたいに言っていますが……。

本来ですと、このエントリを閉めるには「自伝とかを読んでみたら、ここが事実でここが創作だったことがわかった。」とはっきりさせたうえで、もう一度映画かハンター本人かについて考えを巡らせて、なにがしかの落ち着きを取り戻すのがスジだろうな、とは思っています。

ですが、この本を読んだ当時、そんなことはどうでもよくなるくらい衝撃的なひとことに出会って、正直本の内容が全部ぶっ飛んでるんですよね……。なので、中途半端であることは自覚したうえで、その衝撃までをご紹介して一連の更新の締めとさせていただきます。

 

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どうしてこんなに気になるかなー、パッチ・アダムス。ということで、『パッチ・アダムスと夢の病院―患者のための真実の医療を探し求めて』と『パッチ・アダムス いま、みんなに伝えたいこと―愛と笑いと癒し』という、現在日本で読める本はこの2冊しかないので、どちらも取寄せて読みました。海のものか山のものかわからないので図書館利用です。

早々に、映画版の「彼女が死んだことですべてを投げ出そうとする」という、違和感しかなかった部分については創作であることが判明したのはほっとしました(驚くことに蝶が止まったエピソードは本物)。

このあたり、むしろこのまま映画にしてくれてもよかったのではないかと思うほど、信念を持っている人は違うなと思わされる真摯さに満ちています。「もしその事件で僕が夢をあきらめていたとしたら、その死んだ友人も怒るだろう」という……。あの映画に必要だったのは、この真剣さなのでは……。

しかしその点についてすっきりしたのはいいんですが、夢の病院のほうは「~だろう」「~だろう」で、僕の理想通りに行けばこうなるだろう、そしてこうなるだろう、そしてこうなるだろう、で、「希望というか願望じゃないですか」というね……。翻訳がそのまますぎるのかなんなのか、本質よりも「机上の空論」を延々見せるづけられている感じで、読んでいて疲れてしまう。

 

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けれど、パッチ・アダムスが公開されてそのあと、志を同じくする日本人の女医がインタビューした(※厳密にいうと違いますが)『いま、みんなに伝えたいこと』の方は、もっと本音っぽいところが出ていて面白かったですね。

ちなみにハンターのギャグについて一部下品すぎると著者がツッコミを入れたところ、映画化に向けて1700以上のエピソードを話しており、そのエピソードの一部を利用されただけだから、映画で僕をすべて判断しないでほしい、と返答されたとのことでした。ただ、ギャグが下品なのは本人もそうっぽいです。

同様に、この著者も、ハンターの理念には賛成できるけれどあなたのジョークはきわどすぎる、と思っているということで、なんとなく「そうだよねえ」と一安心。

でもまあそんなところより、ハンターが本当に告げたかったのは、「僕の夢は素晴らしいからみんな働いてくれるだろう」「お金もなんとかなるだろう」ではなく(そりゃ当然ですが、1冊目はそう受け取りかねない描写が本当に多かった)、「結局人間は人間らしく生きて死ぬ権利があるのだから、僕は自分の夢で頑張る」「君も人間らしく生きて死ぬ権利があるのだから、あなたとしてきちんと生きなさい」……だったのだなあ、と、改めて感じたりする。

というわけで、映画を見て感動したり、もっとハンター・キャンベル・アダムス本人について知りたいと思ったら、こちらの『パッチ・アダムス いま、みんなに伝えたいこと―愛と笑いと癒し』が圧倒的におすすめ。

 

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……そして『いま、みんなに伝えたいこと』をさらに読み進んでいたら。

「気楽に性を語れるからといって、あなたがお手軽にセックスする人間だということにはならないよ。」

という一文に出会って、そこで「あ、自分、この一言を言ってもらうために引っかかってたのか。」と(自分の中で勝手に)合点がいきました。

ロビン・ウィリアムスのネタ下品! どこからどこまで事実なの! ということは、案外二の次だったんです。ただそのイライラを放置しないでいたら、言ってほしかった一言と出会ったと言うだけ。この時点で、当時の自分にとっては、結果論ではありますが、この一言に出会うためにこそ、映画にひっかかっていたという理解が正しくなったのです。

性的にナパーム弾みたいな発言をする割りには具体的に自分が性的に見られると NO THANK YOU!! な自分、別に言葉遊びが上手だからと言ってからだ遊びが上手なわけではないンだけどなあ……と飲み会などの度に苦笑する自分としては、この一言はすごく納得がいったし、自分以外の人がこういう考えを持っていてくれることがすごくうれしかったし、なんだかすごくほっとしたんですね。

というわけで、自分にとってのパッチ・アダムスは一旦ここで納得する形になったのでした。

 

医者の仕事は、体の変調を突き止めるだけではない。多くの人々にとって、宗教はとても大事なものだ。多くの人にとってセックスは大事なものだ。多くの人にとって権力は大事なものだ。「大事だと思うリスト」をつくって、それらをすべて、一人一人の患者に尋ねるべきだと思う。これは「病歴」としても役に立つ。医学的な意味でその人を理解するというとき、こういうことこそが大事なんだ。

(略)

こうしたことをぼくたちは普通の会話の中の一部として普通に話すんだ。気楽に性を語れるからといって、あなたがお手軽にセックスする人間だということにはならないよ。

パッチ・アダムス いま、みんなに伝えたいこと―愛と笑いと癒し』P126より抜粋

 

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映画に対する不満をこじらせたのを延々書いてきておいて、このオチになるという点で、いくら個人blogのエントリとはいえどうなんだろうな、という気持ちは自分自身すごく持っているのですが……。

このエントリ4つをまとめ直しているときも、①~③までに持っていたもやもや……創作だとしてもあれやこれはいいかげんひどいと思うけれど、実際はどうなのという疑問……に沿う形での総括に入るべき、それができないなら載せるべきではないのではないか……と……別のもやもやが……。

ただ、「漠然とこの映画が気に食わない」とだけ思った”感覚”を言語化しようとするとこんな長文になること……だとか、もやもやを放置しなかったことでたどり着ける何かがあるよね、ということを残しておきたかったのもあり、不完全だということを自覚したうえで掲載させていただきました。

この映画についてスッキリするまでのランディングにはなりえませんでしたが、もし、お読みになった方が「なにかのもやもや」にちょっと挑戦してみようかな、と思われたとしたらよいな……という風には思います。いつかもうちょっと、はっきりすっきりしたいものです……。

 

 

 

 

 

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