映画『パッチ・アダムス』が妙にひっかかってしまった件とその解消まで③


このエントリは視聴直後に身内向けに書き散らかした文章を再構築しています。
いつもよりちょっと乱暴な感想になっておりますのでご注意ください。
(初出:2012年 mixiにて)


思った以上にこれ長くなってますね……。

これ自分の中ですったもんだした流れとはいえ、人様に読んでいただく前提の場所に出すのはどうかなあと思っている気持ちも結構強いのですが、まあ「ひっかかったことに対してここまでしつこくしてみるとなにかにたどり着いたりすることもあるんだな」という参考にしていただければ。

あと、映画に関する感想としてはこのエントリまでで、次回は宣言済みですがかなり違うところに勝手に着地します。

 

 

 

前回までモヤモヤした結果。

この違和感というかモヤモヤ、結局ハンター・アダムス役をロビン・ウィリアムスにしたから、ってところにあるんじゃないかなー。

という結論に落ち着きつつあります。

誤解のないように言っておきますと、わたしロビン・ウィリアムス大好きですよ。信頼できる役者です。けどそれとこれとはちょっと別。

そもそも監督は、最初からハンター役はロビン・ウィリアムスしかいない! と決めていたそうです。たしかに、ヒューモアあふれるヒューマンドラマ、という点ではとても優れた判断のように思えます。

けれど、実際はその関係でまず、ハンターが年を取ってから学校に通うようになったという最大かつ最初の捏造が始まってしまい、そのオッサンが学年一の美女とロマンスする無理さ加減に時間が割かれたり、40超えたおっさんが25歳くらいの青年たちに諌められたりなんだりしたり……っていう、すごく感情移入しづらい前提になってしまっている。それってモヤモヤのかなり大きな要員のような……。

イヤですよ、20代の学生に諌められる40代。きれいな学生がいたからって、ついていく40代。

実際のハンターは、映画でいうところの最初の入院の時点ではまだ18歳ですし、医学部進学課程に入学したのは20歳ですし……。その年齢で、この映画で描かれているようなことを考えていたり実行したりしていたなら、それは映画の描写的に考えたらずに見えたとしても「若さゆえ」という判断もできると思います。

そういう点も含めて、鉄板の役者を持ってきていろんな点を犠牲にするより、医学会の体質に怒っておかしくない、若い青年をきちんとあててほしかったなあと。

実話を元にしたといいつつ、ものすごく根底がずれてしまっているようですから、できれば本人の著書でも読んで、どこまでが創作でどこまでが実話なのかハッキリさせたい気分もあります。

 

他のレビュアーさんのご指摘でハッ!! としたところ

いつの間にかクライマックスが「理想の病院を作ること」ではなく、「卒業すること」に切り替わっていること。

もちろん卒業できないと医者にはなれないのだから理想の病院も作れない、それはわかるんですが……。ハンターの人生の主軸はあくまで、卒業後の「理想の病院」にあるわけだから、「人格的にヤバいから卒業させな~いぞっ☆彡」と闘うのがクライマックスという映画のつくりは、なんかズラされてしまった感が拭い去れないですよね。

こういう気づきがあるので、レビューサイトを見るのが結構好きです。

あと、この「卒業に対する戦い」に関して思うことなんですが、自分の理念と違う大学を放校させられそうなんだとしたら違う大学には入れないのかな? という疑問もあります。もちろん金銭的な問題だったり時間的な問題だったりが伴って、現実的ではないのはわかりますが……。

「臨床は3年目から、患者と医者は違うもの」という精神の大学に入学しておいて、「自分は臨床が大事だと思うから入学してすぐ病院に行っちゃう、患者は友達」って思ってそう行動するっていうのは、理想を追ってるんでもなんでもなくて、ただの勝手だよなと。

その勝手を通したんなら、ちゃんと貫けよと。好き勝手やってきて、いざ卒業が絡んだら自分が被害者みたいにかみつくの? っていう……。大学の方向性を無視し、あまつさえ責任のとれない状況下で責任の伴う行為を無断で行ってきていたのだから、罰されてもしょうがないですよね。なのに大学側を「理想の邪魔をする敵」みたいに描かれても、正直「いや、大学側の判断は順当ですよ、むしろなぜ今まで放置してきたのかのほうが不思議です」と。

 

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ハンターの奔放さに肩入れして見る映画なのはわかってるんですが、まず卒業したいんだったら、人生のうち数年間の間の素行くらいちゃんとしてたらいいのに、って思うし、自分の理想を実現したいんだったら、まず卒業しようよ、ってなるし。

んー、やっぱどこまでが事実でどうなのよ、とは思うんだけれど、放校するならしてみろ、僕から医療を奪うことはできない! って言ってくれた方がまだ「映画で描かれる理想的な信念を追う人格」として納得できる。

好き勝手やってきて、「おまえらが気に食わないからって勉強させてくれないなんてひどい」って言われても、「パーティでゲストに好き勝手したからってホストにつまみ出されるの酷い!」くらい、意味が分かりません。

 

というわけで

まだ結論ではないのですが、いきなり現在(2015年)の視点でちょっとしたまとめを。

結局、個人の感想としては「なんというか、この映画、単純にもてはやされてはいけない気がする」っていうことなのかなあ、と思っています。

たしかに、病気で苦しむ人に笑顔を届ける、それはとても素敵なことですけれど、そのためならなんでもしていいのかといったらそれはまた違うことです。でもこの映画は、患者を笑顔にさせるためならなんでもやっていいような描き方になってしまっている。

さらには、笑顔がキーワードだからかなのか、患者を笑顔にする以外のところでも過剰にそちら方面へ持っていこうとする……。ううむ。美談に仕立て上げたいならもっとやりようがあったろうに……。

実際のハンター・キャンベル・アダムス本人は、こんな描かれ方をしてどう思ったのだろう? と不安にすらなってしまうんですよね。

 

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この件はあと1回の更新を残すのみですが、「映画に対してどう思ったか」はこの次の更新ではそんなに触れておらず、「映画がなんだか気に入らなくて、気に入らないならスルーしてしまえばいいのにそれでもスルーできなかった結果、自分はなにに出会ったのか」という点が総括になっていて、話は完全にスライドしてしまうのですよ。

そういう意味では、現時点でもわたしはこの映画を完全には消化しきっていないと言えるのかと思います。これだけひっぱっておいて、ちゃんとオチていない更新で申し訳なくは思っています。

……やばい、この文章すらちゃんとおとせない。

関連書籍の翻訳が当時より増えているようなので、今ここに記事を転載しようとしたこともひとつのきっかけだと思って、もうちょっと追いかけてみようかなと思い始めました。その件に関しては、今回の更新とは別件になりますので、あくまで2012年当時に「気に入らん!!」でつっぱしった結果について、次回の更新に当てようと思います。

あと1回、よろしければお付き合いください。

 

 

 

 

 

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