映画『パッチ・アダムス』が妙にひっかかってしまった件とその解消まで②


このエントリは視聴直後に身内向けに書き散らかした文章を再構築しています。
いつもよりちょっと乱暴な感想になっておりますのでご注意ください。
(初出:2012年 mixiにて)


はい、さきのエントリで述べさせていただいたように、分けました。ほんとはここまで収めてひとつのエントリにするつもり……だったんですが……。

当時のいわゆるマイミクさんはこの長文を見てなんと思っていたのでしょう。きっとなんとも思ってない。そしてそもそも長くてきっと読んでいない。そんな気がします。あ、読んでました報告は特にいらないです。

……というわけで、『パッチ・アダムス』のどこがそんなにひっかかってしまったのか、という点について。これは前回以降、自伝を読んでからの感想になります。

 

 

 

あらためてツッコミとか感想とか 導入部

そもそも、ハンター自身の自傷癖はどこ行った!? というのが個人的には非常に気になるのですが、あくまで実際の出来事がベースになっている作品ですから、まあこれは言ってもしょうがないのかなと納得するしかありません……(不満タラタラ)。もしこれが純然たるフィクションだとしたら、重たい設定な割に生かされてませんよね、とかいうツッコミを入れたいところではあります。

今作では、ハンターの理念の大元となっている部分ですから描かないわけにはいかないけれど、それでもその部分のその後については別に重要ではないのはわかります。

しかし、自分自身が病人であったときに数人の患者と仲良くできたくらいで「冷たい医者より暖かいボク」となってしまうのがちょっと痛々しい。あえて言っておくと、現実のハンター・アダムスが痛々しいと言いたいわけではもちろんないですよ。けれど、今作の描き方だと、このほんの数件の出来事でああまで思い切った行動をするようになったっていうこと? という「疑問」というか「違和感」が最初にできてしまって、そこに不満が残る感じ。

で、この不満が作品全体の不満につながってしまってですね。


個人的には、本当に命が大事だ、患者が大事だと思っているのなら、それこそきちんと医師免許をとって、立場的にも法律的にも向き合う権利を得てからしっかり向き合えばよかったんじゃないのかな、という当たり前の疑問が出てきてしまうわけですよ。だからこそ、「どうしてハンターはここまで思い切った行動をするようになったのか?」という導入部が、本来ならばもっと緻密に作られなければならなかったのではないかな。

なんというか、すごく穿った見方をしてしまうと、ハンターが病気や死と言うものをとても軽く考えているようにも見えてしまうんだよ……。これはあまりにも意地の悪い見方をしている自覚はあるけども……。

だから、最初にこちらをがっつり納得させてほしかった。「自分の望む医療の形を追求したい」わかります、でもそれは医師免許をとってからやることです。この作品のハンターのいうことやることは、すべてこの一言で退けられてしまうんですよ。「法に則って行動してください」って。

 

あらためてツッコミとか感想とか 取捨選択のまずさ?

この「導入部をもっとしっかりするべきだったのでは」から来るもう一つの大きな不満は、説明不足の割に余計なものを詰め込みすぎて、ひとつひとつのエピソードに説得力がないんだよな、という点。

まあ、一個一個突っ込んでいったらきりがないし、そこが本質ではないので避けますが、たとえば食肉業界のパーティに飛び込んで業界人のふりをして……なんていうカットを延々入れてるヒマがあったら、もっと描くべきところは他にあるだろう、それこそ導入部の補足でも、と思うんです。「この人は変わり者だけど人気者」ということを描きたいのだとしても、もうちょっと本筋に沿ったところでやっていただきたい。

それにこの、「説明不足の割に余計なものを……」って結局、制作側の取捨選択がおかしいということだと思うんですよね……。


ヌードル・プールに関していえば、食べ物をムダにしているという点で好き嫌いが別れるのは理解できますが、でもあれは「ハンターが、患者が生きるための気力を取り戻すためならなんでもしてあげたい」っていうことの象徴ですし、「食べ物をムダにしない」という教育を当然受けておられるだろう世代のおばあちゃんがそれでも胸の奥に秘めていた、誰にも言えないような……そう「バカバカしい」願いを引き出したこと、そこまでの関係を築いていることの象徴でもあると思うので、わたしはヌードル・プールに関しては限定的に賛成派なんです。

ですが……ちょっとあまりに強烈過ぎてそれしかたとえに出せないのですが、やはりあの「産婦人科の学会があるから、講堂の入り口が膣口にあたるように女性の足の巨大ハリボテをつくってとりつけた」っていうのは……あれ……映画でやる必要があったのかしらと……。


(ちょっとこの一文は、自伝ではない方の書籍を読んでからの追記なんですが、ハンターのやらかしたジョークは1500以上も制作側に伝えられていたそうで、その中からこれをセレクトする必要があったのかなと……。ハンターがやったジョークのうちのひとつであることは確かなようですが、よりによってこれを……ううん……。これをセレクトするのおかしくないですか?)

そういう点で、「実際はどうか知らないけれど、映画のハンターはかなりおかしな人だな」という印象を持たせることには成功しているようには見えますが……ううん……。

 

ジョークがくどい、そしてひどい

「患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)向上のための笑い」

これが、作品並びに本物のハンター・アダムスの理念なので、「笑い」が話のメインになってくるのはわかるんですが、とはいえ「ハンターは常に愉快な人」という演出として、いつでもジョーク連発なのはむしろカンに障ります。

しかも、そのジョークが時に逸脱しすぎる。

上で書いた、講堂入口に女性の足のオブジェもそうですけど、末期の患者の前にいきなり天使の格好をして現れて、「死のあらゆる言い方」とかって連発したりとか……下品だったりブラック・ジョークだったりで、結構「不謹慎」なんですよね。そんなことでいいのかなあと。正直自分も「これは許容できる笑いではないなあ」というのがチラホラありまして。


やっぱり「なんでそれをセレクトしたのかな」とも思いますし、メイキングを見ているとロビンのアドリブも大量にありそうで、どうにも本作に収録されているジョークの量は、現在の6~7掛けでもまだ多かったんじゃないか、と感じてしまいます。

だって、ジョークをつめこむのが目的の作品じゃないんですから。

人を選ぶ笑いをいくつも詰め込んでいるヒマがあったら、だからもっとハンターの理念に共感する時間をくださいよ、なわけです。

ラストのケツは好きにしてください。

 

ずるいのその① 「実話を元にした作品」という逃げ道

この作品の感想を言うときにすごく難しいのは、「これ話しの展開としておかしくない?」と思っても「いやそれが事実なんだから仕方ないじゃん」ってなって、どうにも身動きがとりづらくなる点なんですけれど……。

これで一番「むー……。」と思ったのは実は、カリンの扱いなんですね。

乱暴に言ってしまうと、カリンのモデルはハンターの奥さんであるリンダさんです。リンダさん、現在は離婚していらっしゃいますが、ご存命です。そして実際に似たような傷ましい事件はあったようなのですが、犠牲になったのは同期の男子学生だそうで。

この一連の流れがもうすでに、ずるい。


ただでさえせわしない映画にラブロマンス盛りこんどいていきなりのヒロイン死亡でお涙ちょうだいかよでも実話なら仕方がねえチクショウ、カリンだって男性恐怖症に近い
感じなのに、誰も同伴させないで男性患者の家にひとりで向かっちゃうってどうなのでも実話なら仕方がねえチクショウチクショウ、

って思ってたら創作なのwwww ハッハハwww

捏造じゃねえか。って。

ちなみに、ここでハンターが絶望してしまうのも捏造であって、実際にはそういう事件があったとしても、行動を取り下げようと思ったことなどないそうです。しかし痛ましい事件の後にハンターに蝶が寄り添った話は実話とのこと!!

まあ実話が元だろうとなんだろうと、創作物になるときにはなにがしかの捏造というか再構築が入ることくらいは了承していますが、それでも本人の強さをねじまげてしまったり、より感動的になるようにピースを入れ替えてしまうのはやっぱりちょっとどうかな……と思います。

 

ずるいのその② 「赤い鼻の道化」

これは先に書いているので、ざくっとしちゃいますけど。

子供を笑わせてあげる優しいお医者さん、的なイメージを仕込んでおいて実際話の筋には下ネタ、ラブロマンス、脱法、と思うと安定のビジュアル詐欺。AVのパケ写詐欺みたいな。

イメージ戦略の勝利と言ってしまえばそれまでですが、その作り上げたイメージに作品が追いついていない。

もう、個人的にはこの内容、ドク・ハリウッドみたいな、「ハーイ! コメディですよ!」というパッケージのあっているように思う……。いや、ジャンルをコメディに変更しちまえ!! ってまで言いたいんじゃなくてね。

もうこの「赤鼻+子供」のメインビジュアル、出来がよすぎるんですよ!! すごい期待しちゃうんですよ!! 結局中見てガッカリさせちゃったら意味ないでしょうにねえ……。やっぱりAVのパケ写詐欺みたいだな……。

 

ずるいのその③ ちょっと脱線「本物のハンター・アダムスの発言」

これは少し後に知ったことなんだけれど、本人が講演会とかで、「この映画で相当儲けたはずなのに、ロビンを含めほとんど病院への寄付はなかった」とか公で言ってしまっているところ。

これを知って、自分の中の潔癖症の虫が刺激されてしまったというか……。

これは映画に対するずるい、ではないですが、寄付が必ず欲しかったというなら、そういう契約をすればよかったことだし、そもそも寄付は各人の意思でやることであって、しかもやらなかったからといって責められるものでもなんでもないわけで。

だというのに、こういうことを公の場で言ってしまって、そしてそれを自著にまで記入してしまう時点で、本人に対して「その後出し公にしちゃうのずるくね?」と思ったのがあります。


この作品を見て「おかしくない?」と思った部分が大きかったとしても、「いやいや実話ベースだから」って、言ってみれば本物のハンター・アダムスを尊重して、できるだけ理解するように納得するようにつとめてはいたんです。でもなんだかこういうのを見てしまうと、飲みこもうと判断した自分自身までばからしくなってしまったというか……。

このあたりは本当に個人の感覚だし八つ当たりじみてますが、この映画の「無免許で診察して死んだらどうする!」「医者が戦うのは死ではない!」というやりとりに騙されてあげられなくなっちゃうんですよね……。あのあたり、どう考えたって、ただの詭弁ですヨ。

まあ、なんというか、はっきりと商談の場につけたわけじゃない、自分の心の中での条件が果たされなかったからって、自著という人が手を出せないエリアで勝手にやいやい言うってずるいな、という、そっちのずるいな、を感じてしまったわけです。

 

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※おまけの怒り

コレクターズ・エディションのメインメニューが英字しかなく、しかも字が小さくて読めない! ふたつの意味で読めない!! そのうえ、NG集に翻訳がないくらいならまあまだいいけど、監督のオーディオコメンタリーに対する翻訳がない!!

しかもその説明がないから、何度も何度もメニューを行き来して、言語を選択して……ってやった時間を返してほしいです。

あんまり触らない方がいい作品なのかなー!! で、どっとはらい。

 

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(追記) と、ここで勝手にどっとはらってますけれど、最初にも書いたようにそれなりにこの件根深かったので、まだ続きます。

 

 

 

 

 

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